太田美登里さんへのインタビュー(後半)
チネイザンプラクティショナー 太田美登里さんへのインタビュー(後半)
インタビュアー つかさ
―前半の続き―
つか では、チネイザンを行うようになって、元々やっていた施術への影響はありましたか? ちゅんさんは西洋医学と東洋医学の両方を行っていて、その間を関連させているのが素敵だと以前から思っていました。 元々の看護師の仕事、鍼灸の仕事と関連してなにか変化はありましたか?
ちゅん ある。お腹の見方が変わった。
つか 触診が?
ちゅん 観察項目が増えたかな。看護師の仕事には「看護計画」っていうのがあるのね。例えば盲腸で入院した人がいます。観察項目として、お腹の状態とかバイタルサインとか検温とか、食事をして、何回起こしてとか、具体的な計画を立てねばならないのね。状態が変わってくると段階を経て、第2の看護計画を立てる。そして「こういう感じで退院されました」という記録を残さねばならないの。その時の見方が変わった。
つか それは自分の感じるところがひろがったってこと?
ちゅん そうそう。
つか 鍼のほうでは?
ちゅん 鍼灸の人でも最初ニーディングをするんだけど、「いま、どんなふうになってるのかな?」っていうのを必ず観るようになって、できることが増えています。
つか ご自分の感受性が高まったということなのですね。
ちゅん お腹のことを考えながら観る訓練をしたんでは、と思います。
つか ご自分のからだをケアすることはどうしてます?
ちゅん 弱いっすね。
つか 弱くていいじゃん(笑)女子だし。腹よわ女子だし。弱いとだめなんですか?(笑)
ちゅん だめじゃないけど……自分を大事に、とはよく言うけどね。
つか 自分を甘やかすのと、大事にする、っていうのの違いをわかるのは、私にとってはうんとむつかしいです。
ちゅん それは表現を提供してるからでしょう。
つか チネイザンは表現ではない?
ちゅん 私にとってチネイザンは表現ではない。
つか あぁ、そこ聞きたいです!!
ちゅん 私は表現とは思ってないから(笑)むしろ私が聞きたい。
つか 結局チネイザンをやるとき「空間を作る」って意識してる。私のなかで「人を癒す」とかないんですよ。関心がないし、、、。逆にちゅんさんは「癒し」としてやってるの?
ちゅん 「癒し」ではない。
つか 自立?
ちゅん 自立(笑)それはあるかもね。 でも、ほんとに小さいことだよ。ここにふたつの手があります。「じゃ、手にぎろうぜ」ってしてみる。それってなんかいいじゃん、他人の手って。「あ、お疲れー」って相手を軽くたたく。そのくらいに、ほんとにちいさなことですよ。
つか 火打ち石カンカン!みたいな(笑)
ちゅん そうそう。私がやりたいのは、「お疲れ様!」って肩をさすったりするだけで楽になるときあるじゃん。肩をパンパンってたたくようなことの延長線。それにちょっと技術を足してるだけ。
つか そういうスキンシップ、足りてないです。
ちゅん 日本人には足りてない。そして、お互いに「関係ない」っていうのがいいんだ。家でも職場でも家族でも友達でもない。関係ないけど、ちょっと休みにこられる場所っていうのがいい。
つか 「親しければ親しいほどふれあえない」ってのがあるよね。
ちゅん うん。でもこういう小さなふれあいは人生の中に必要。ほんとにささやかなこと。これからもささやかでいたい。
つか そうだね。続けていきたい。そしてまだまだだものね。はじめたばかり。
ちゅん だいたい、わかんないですよ。だって看護師も10年やって、ある日突然力みを抜けるようになったんよ。
つか やり続けるしかないんだね。ちからを抜けるくらいにね。
ちゅん 看護師の仕事もメシの種として一生懸命やってて、やっと肩の力を抜けるようになったんです。鍼灸はまだまだ。チネイザンは、さらにまだ(笑)
つか メシのたね大事だよね。
ちゅん そこを何かを学び取りつつ、迷いつつ、あ、これわかったといいながら行けるのは幸せなことよね。
つか そうだね。こつこつ、細々と続けていきたいですね。
ちゅん じゃ、ソフトクリームも食べたことだし、温泉入って、わんこそば食べるか。
つか わぁ〜、人生初わんこそば!
ちゅん わたしも実は初めて(笑)盛岡民は意外と食べないという。
つか それは楽しみ(笑)では、今日はありがとうございました。
予告通り、温泉でまったりとしたあと、盛岡市内の「東屋」さんで、わんこそばを食べました。
その日「今日は夜にチネイザンをしよう」と話していましたが、わんこそばを限界まで食べたため、チネイザンどころではありませんでした!